7年ぶりだが、京都南座へ「桂米朝一門会」の落語を観にいった。
一門会は年に1度なので、当然ながら3階席まで全席埋まる大入り満員だった。
残念ではあるが、人間国宝である桂米朝はすでに他界しており、続く桂ざこばも数年前に脳梗塞で倒れたことで、今回、冒頭のあいさつだけだった。
それでも久しぶりの落語はやはり良い時間だなと思った。ふと思い出したが、43歳でリタイアしていたころ、大阪の天満にある「繁昌亭」に、よく一人で寄席を観に行っていた。
落語や歌舞伎を知らずして人生を過ごしてしまうのは、誠にお節介ながら「あまりにも勿体ないことでっせ」と伝えたい。
自分の人生観は、田坂広志氏の1冊の本が軸になっている
田坂広志『未来を拓く君たちへ』の各章タイトルは、「なぜ我々は志を抱いて生きるのか」という軸のテーマに対して、様々な側面で考えさせてくれる。
- 「悔いの無い人生」を生きるために
- 「満たされた人生」を生きるために
- 「香りある人生」を生きるために
- 「大いなる人生」を生きるために
- 「成長し続ける」を生きるために
落語や歌舞伎は、まさしく「香りある人生を生きるため」の一つになっている。
はなしを落語に戻して、一番好きだったのは桂枝雀
生前に3~4回寄席を観れたのは幸運だった。
息子を桂枝雀一門会の寄席に連れて行ったことがあるが、桂枝雀が亡くなって23年になるので、考えてみればまだ息子が小学校1~2年の頃だろう。彼もそれで落語が好きになった。
桂枝雀の落語は高校生の頃から聴いている
当時、ソニーのウォークマンが大流行していた頃で、枝雀の落語LPをカセットテープに録ってよく授業中に聴いていた。
枝雀落語を聴いた時間なら、きっと日本で10番以内に入っていると思う
20数年間、毎晩毎晩、枝雀の落語を聴き続けていた。
365日中、360日を20年以上聴いているのだから、 “おそらく” だが、日本一とは言わないまでも10番以内には入っていないだろうか?それくらい聴き続けた。
意外といえば意外、そうかもねと言えばそうかもだが、松本人志も、桂枝雀と立川志の輔の落語を毎晩聴き続けているらしい。
なぜ20年以上も毎晩落語を聴いているのか
「20年以上も毎晩聴き続ける」ということは、単純に「面白いから」という理由ではない。実際、聴き始めて5分10分程度で眠りに落ちているのだから、「聴く」というより、入眠時の頭の状態を「作る」に近し、それを意図してやっている。
入眠時と起床時の頭の状態。つまり「潜在意識」だけになる時間をポジティブにするのが意図だ。言葉を変えれば「眠りながら成功する」を忠実にやり続けている。
色々書きたいことはあるが、長くなるのでこの辺にしておこう。
世の中には「香りある人生」にするためのツールがたくさんある
どこかで「落語」との出会いがあれば、きっとその一つになると思う。