今月からNetflixで配信されている、アーノルド・シュワルツェネッガーのドキュメンタリー、Netflix「シュワルツェネッガー 3つの人生」(3部作)を観た。

シュワちゃんが歩んできた人生なら(ボディビルダー、ハリウッドスター、カリフォルニア州知事)、あらためて観るまでもないかと思ったが、軽い気持ちで観始めたのに、気づけばノンストップでいっきに3部作を観終わっていた。

この数年、自分の中で静かに納めかけていた熱い何かを思い起こさせてくれる時間だった。

「警告」になるもの、「憧れ」になるもの

Youtubeでは、”あのようになってはいけない” という 「警告」 になるものと、”あのようになりたい” という「憧れ」になるものがある。

ホリエモンやひろゆき、中田とかも見ることはあるが、結局は上から目線でキレよく話すのが達者な人々であり暇つぶしで見るもの。根底はエゴとネガティブだから真に受ける事はしない。

それに対して、大谷や吉田、井上尚弥や八村塁、三苫薫をYoutubeで見ていると、言葉で自慢することも他人を見下すこともなく、ただただ日々活躍する姿を見せてくれる。謙虚であり礼儀があり、それでいて自分に厳しく裏では人一倍の努力を行なっている。

彼らの活躍は、心の中の火種を絶やさぬよう薪をくべてくれているように感じる。

無意識だが、最近、「努力」という古臭い言葉をよく使うようになった

彼らの大活躍や大成功の裏には、例外なく、明確な夢があり、実現できると信じ、実現する根拠に相応しい徹底的な努力を何年も継続して行なってきている。

結局、1周どころか10周まわっても、人生において最も大切なこと、最も美しい思い出になるのは「努力」である。という事に考えが行き着いてしまう。普遍は不変だ。

幸せになるために「努力が必要」というより、「努力した日々」が幸せな思い出となる

人生を振り返って懐かしむとき、「嬉しかったことや成功したこと」よりも、「苦労したこと、人一倍努力した時期のこと」が何よりも懐かしく美しい思い出であり、笑って話せる思い出となっている。

自分の人生を振り返っても、段ボール箱の上で50円の鳥皮や3本100円のなすびを食べながら、朝から夜中まで働いていた20代の頃が一番懐かしいし、今の会社の創業期に一人でテレアポして訪問営業して苦しみもがいていた時期が、今となっては一番充実していたように思える。

人生は思い出作り

「やめたい誘惑は成功する直前に最も強くなる」という中国のことわざがあるが、神が作った人生ゲームの秀逸なところは、努力のゴールを見せないところだ。

ここまで努力すれば成功を与えるというルールにはなっていない。

人は、努力を必要最小限にしたいと思う。ほとんどの人が振り落とされるのはこの点だ。

もう一つ素晴らしいところは、「努力している時」は徹底的に辛くて苦しい。
なのに振り返れば「努力した日々」が一番楽しい思い出になるというところ。

いつまでも色あせない、懐かしくて心温まる思い出はすべて「努力した日々」のこと。

「シュワルツェネッガー 3つの人生」を観ながら、ずっとそんなことを考えていた。