このブログのサブタイトルである『子供っぽく、大人らしく』。

今日は少し「大人とは何か」について考えてみたいと思う。

広辞苑で「大人」とは、十分に成長した人、一人前になった人、考え方・態度が老成しているさま。分別あるさま。となっている。

ここでまた疑問が生じる。

「十分な成長をした、一人前になった」は、誰がどういう基準で判断するのか?言うまでもなく誰かが基準で判断するものではない。

では、もっとシンプルに「子供と大人の違い」って何だろう?

この疑問に、スネ夫は上手く答えてくれている。

「大人のフリが上手な人が、大人なだけだよ」

まさしく、「子供っぽい」「大人らしい」とはフリする事だ。

大人だけど、いつまでも子供っぽさを持つ自分でありたい。まだまだ子供だけど、立派な大人らしく振舞いたい。それが理想の姿。

だから、アイデンティティとして「子供っぽく、大人らしく」をサブタイトルにしている。

さて、一般的な意味で私は十分に「大人」だろう。分類的に。

それなのに、いまだに自分自身を「大人」と思えないのだ。

なぜ、自分自身をいつまでたっても「大人」だと思えないのか? 最近、その疑問に対する答えがわかった。

考えてみれば、私にとって「これが立派な大人だ」と思える人は、この世にたった一人しかいなかったのだ。

平成時代の天皇である上皇陛下。この方だけが、迷いなく自分にとって「立派な大人」だと思えるのだ。

このブログで天皇のことを何度か書いているが、もちろん、右翼でも、偏った思想があるわけでもない。

ただ、真に美しい人だと、心から尊敬と羨望を抱いているだけだ。

だから、いつまでたっても「大人」になれるハズがない。

人間成長のゴールとして、真に美しい人(大人)を目指したいが、ぜったいに届きはしない。
どこか潜在的に、” 永遠に大人には成れない” のを感じているから、無意識に「子供っぽく、大人らしく」という言葉を使っているかもしれない。

結論など出るはずもないが、書いていて何となく理由がわかった。

妖怪人間ベムの「はやく人間になりたい!」ではないが、「はやく大人になりたい!」と、”心の中で” 叫ぶことにしよう。

声に出すと、大人を通り越してあっちに行ったと思われるので。