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質問の技術

『パワー・クエスチョン』という本の中に面白い逸話がある。

キッシンジャ―(元 米国国務長官)の部下であったウィンストン・ロード氏が、のちに語った回顧談。

そのまま下記に引用する。

ある日、キッシンジャ―から、大統領に提出する外交政策報告書の作成を依頼された。

私は報告書をうまくまとめて、その草稿をキッシンジャーに提出した。

翌日、彼は私を呼んで言った。「これは君にできるベストなのか?」と。

「自分ではそう思っていますが、もう一度やってみます」と答え、二、三日後にもう一度草稿を提出した。

その翌日、また彼に呼ばれて「本当に、これは君にできるベストだったのか?」と念を押された。

私は「自信はありましたが、もう一度見直します」と答えた。

そのやり取りが何度も繰り返され、九回目に提出したその翌日に呼ばれて同じ質問をされたとき、私はついに怒りを爆発させた。

「さんざん知恵を絞ったんです!これは九回目ですよ。自分にできるベストだと確信しています。これ以上、一語たりとも変えられません!」

そう言うと、彼は私の顔を見て答えた。

「そういうことなら、そろそろこれを読むことにしよう」

 

キッシンジャ―の人を育てる技術も素晴らしいが、気になるのは、そもそもなぜ、最初から一語たりとも変えたくないほど練りに練った報告書を作らなかったか。という事。

 

他の人も同じ程度の物を出せるなら、特に君でなくてもいい。

そういう、当たり前のことに気づかなければならない。

 

チャンスはいつも目の前にある。

ただそれを「チャンス」と気付くか「業務」と思うかの違い。

 

チャンスはチャンスの顔をして現れてくれない。

むしろ不運のように、面倒な頼まれごと、自分が損すること、努力の要することとして現れる。

「頼まれごとは試されごと」という言葉もあるが、まさしく「試されること」がチャンスである。

 

チャンスは「平等」にあり、評価は「公正」に与えられる。

トーマス・エジソンも語っている。

 

ほとんどの人の人生は機会を逃している

その機会は作業服を着ていて仕事に見えてしまうからである。

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