生命科学の分野で今、最も白熱している話題は…ゲノム編集。

きっと、10年以内に誰もが倫理議論をしていると確信する。

ゲノム編集とは、遺伝子を思い通りに書き換える技術。
言い換えれば、全書き換えして0から創造してしまえるという事。

すでにゲノム編集で、鯛やフグを1.5倍にしたり成長速度を2倍にできている。

今、学者の間では「これを人に応用して思い通りの人間を創造すべきではない」という、当然の倫理コンセンサスがあるが、あまりにも好奇心を刺激する技術であり、先日、中国の学者が人の受精卵で実験し論文を発表してしまった。

それでも「思い通りの人間を創造する」という事は理性が働き止められるだろう。

問題は、それではなく、もう一方。

なんと、この技術は、生きている人(自分も含め)の遺伝子書き換えが可能なことだ。

父親ゆずりのハゲだとか、背か低い高いという遺伝子の書き換え。

理論的には、癌でも糖尿病でも認知症でも…それこそ、ほとんどの病気を止め回復できるようになるだろう。

実際に、HIV患者の血液を取り出してゲノム編集し、体内に戻したことで、エイズ発症を抑える薬が不要になったという実験報告が上がっている。生きてる人の臨床実験は何げにOKなのだ。

今はさらに進んで、人から採血してiPS細胞(受精卵と同様で人体のすべてに変われる万能細胞)を生成し、iPS細胞自体をゲノム編集して大量増殖させ人体に戻すための、動物実験が行われている。

確かに、もし、自分が苦しい病気になったら治したい。
認知症の母が、もう一度、私を認識してくれるなら治したい。

でも、本当にそれでいいのだろうか。
それは本当に幸せな事なのだろうか。「死」は、ある日やって来るものでなく選択するもの。そんな選択を人はできるだろうか。

ある意味、”普通の手術”も運命を曲げていると言えるが、インストール済みのDNAを編集し運命を変えるとなるとどうだろうか。

これを言うと、きっとヘンに思われるだろうが…、
「死」は、神が設計したものの中で、最も美しく、最も芸術的なアイデアだと思っている。

言うまでもなく、死にたいわけでもサイコな思想家でもない。
死があるから、生きる意味がある。そう思うだけだ。

もし、我々が1億年も生きるとしたら、今年、いや、今日を頑張るなんて、とてもできない。逆に、完全に生きたいからこそ、自分で日付を選択できない「死」、いつやってくるか分からない「死」、が必要だと考えている。

ずいぶんと話が変な方向に行ってしまったが、人類は(特にライフサイエンス企業は)、この、とてつもない好奇心とビッグビジネスに出会ってしまった。もうこの流れは止められないだろう。