以前にも一度書いたが、バカボンのパパについて語りたい。

バカボンのパパの決めぜりふ、というか名言といえば、やはり、

「これでいいのだ!」 だろう。

ケセラセラともTake it easyとも違う。

思い悩むことがあっても、それらすべてを飲み込んで

「これでいいのだ!」と言ってみる。さぁ、言ってみて!

自分に対しても、人に対しても、とても大きくて優しい言葉。

でも、他にもいいのがある。

「ママがいるからパパなのだ」

「わしはみんなの幸せをねがっているのだ」

「忘れようと思っても、思い出せないのだ」

子供の頃は、「当たり前や~ん」ってバカバカしいギャグのように聞こえたけど、大人になると、だんだんとわかってくる。短い言葉でうまく表している、とても素敵な言葉だなと。

だけど、これらの言葉を語っているのは、

モチロン、バカボンのパパではない。

バカボンのパパのパパ。

つまり赤塚不二夫なのだ。
彼の『天才バカボン』に対する想いを紹介したい。

『天才バカボン』を描き出した時にもまず思った。
バカに真実を語らせようと。

そこからバカボンが生まれ、
バカボンのパパが生まれたんだ
バカボンのパパってさ、別にラクして生きているわけじゃないんだよ。

パパはパパなりに、どうすれば家族を幸せにできるか、

どうすれば毎日を楽しく過ごせるかを考えながら

一生懸命頑張っているわけ。

そのためには体ごとぶつかっていってる。

ただバカっつったってホントのバカじゃダメだからな。

知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの。
赤塚不二夫

最後にもうひとつ、パパの言葉を聞きたい。

わしはバカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ