今夜は、妻とN響(NHK交響楽団)の大阪講演を観に行った。
ここ数年、芦屋マリーナのイベントで弦楽四重奏をお呼びして観る機会が何度かあり、「たった4人でこんなに美しいものなのか」と感じていたので、だったら、ぜひ本格的なオーケストラを聴きに行ってみたと思っていた。
そんなことで、昨年あたりからウィーン・フィルやベルリン・フィルの来日を探っていたが、気づいた頃にはチケットがまったく取れない。だったら日本フィルかN響だ、と、今回大阪講演を取った。
もし、一人で行っていたら、
開始10分後に涙がこぼれたかもしれない。
ハープの音が聴こえ始めた時、それこそ心の琴線を弾かれるように、なんとも言えない感動、いや、もっと穏やかな、暖かみのようなものがこみ上げてきた。
実は、以前から薄々気づいていた。
私の琴線は、ハープの弦と連動しているように思う。(笑
ハープの音を聴くと、ある絵が浮かぶのだ。
静かな湖のほとりにある木々の下で、木漏れ日を見つめている自分。そういう絵が浮かぶ。
そんな体験をした事がないはずなのに、なぜか、一瞬でそこにいるような気持ちになる。
本当にバカバカしいけど・・・、もしかしたら、中世のヨーロッパで一度生きたことがあるのかもしれない、と思えるほど、記憶がよみがえる体験を覚える。なぜなら、その場の匂いまで感じるからだ。まぁ本当にバカバカしい話だけど。
もう少し現実的な話をすれば・・・
自分がなぜ “木漏れ日が好き” なのかは、なんとなく知っている。
小学5年か6年生頃の夏休み。
午後から近所のプールに行こうと思いながら、無限に感じるほど退屈な時間を、寝転がって雑草の生えた裏庭を見つめていた記憶がある。
蟻が行列をなして、また、あちらこちらで歩いている様子をぼーっと眺めながら・・・そこに木漏れ日があった。
ただそれだけのこと。
しかし、50を過ぎた今でも、木漏れ日を見ると “あの日の少年” がよみがえり、何ともいえぬ純粋な暖かみを感じるのだ。