毎週、月曜朝の新幹線は小松菜ジュースを買ってプチ健康感を味わう。
車両に乗り込むと黒服にイヤホンのSPっぽい人が数人立っていた。
いったい誰が乗ってるんだろう?と思って席に座っていたら、喫煙ルーム方面から前後をSPに囲まれた若者3人が歩いてくる。
パッと見て判らなかったので、失礼なほど凝視してみたが・・・全然知らん。
特にオーラも感じない普通の若者。多分ミュージシャン?といったところ。
しかし、あれだけの大人が大事に守ってるんだから、相当価値ある若者なんだろう。
とはいえ、何も知らない私にとっては何の価値も感じない。
「私、超人気者ですが握手しましょうか?」なんて言われたら、「先に手を洗ってきてくれへん?」と言い返せるほど価値を感じない。
先日、ボブ・ディランがLike a rolling stoneを作詞した際の手書きメモが2億円で落札されたらしい。便箋4枚です。
多少、価値を感じるけど、それでも引っ越し2回でどこかにまぎれ見失うパターンの物。
不思議なものだ。
誰かにとってはスゴイ価値があるのに、他の誰かにとっては完全に無価値。
価値とはなんだろうか。
絶対的価値のあるものとしては、動物と同じで、水、食糧、空気、程度なのかな。
要は生存するために必要なもの以外は、すべて思い込みの価値なのかもしれない。
価値を感じるものが少なければ少ないほど、お金を使う必要がなくなる。
しかし、価値を感じるものが多ければ多いほど、人生が美しく見えて豊かになる。
パラドックスだね。
言うとっけど、ただただ思いつきで書いているので、何の結論も用意してませんぜ。