日記

母の誕生日

母がいる特別養護老人ホームの入り口に飾られた基本理念。

「今日、お母さんの誕生日だから顔見せに行ってあげようよ」。
妻から言われるまで、母の70歳の誕生日なんて忘れてた。自分の誕生日は祝うのに。

老人ホームに着き、母のベッドのわきに立つ。

いつものようにぬいぐるみを脇に抱え何を見るでもなく薄っすら目が開いている。少し腰をかがめ、視線の先に顔を持って行くとピタッと目が合った。

もしかして今日は俺のこと分かっているか?

そして、さらに腰をかがめてみると、やはり、母の視線は固定されたままで私を追いかけてはくれなかった。

5分をほど手をさすったり髪を撫でていると目を閉じて眠りはじめた。目が開いていても閉じていても。どちらにしても彼女は眠っているのだけど。

部屋を出てエレベーターを待っていた。寝たきりでない老人が30人ほど無言で座ってる。70代80代の方たち……。ハッとした。俺、20年後ここに居てもおかしくないんだよな。だってこの方たちも、20年前はまだ働いていたり友達と旅行に行ったりしてたはず。

思えばたかが10年前。60歳の母は完全に正常な意識と完全な健康状態で、ラスベガスやオーストラリアへ一緒に付いてきていた。あの頃の写真を見ると不思議な気分になる。

ここへ来るたび、ホームの入り口に飾られた基本理念を読んでいる。

あなたが最期に「いい人生だった」と思えるよう・・・。施設の方々は理念のように本当によくやってくれてる。でも何かに向かって叫びたい。

それはいつ思えばいいんだよ!どこにそんなタイミングがあるんだよ!

ここに居るのは10日でも1ヶ月でもない。多くの人が数年いや十年以上、亡くなる日まで時間をつぶすのだ。母はもちろん、あの老人たちの誰がいつそんなこと考えるのか。

人生をまっとうし、最期に一日だけ死を覚悟する日があり、我が人生を振り返りながら「いい人生だった、我が人生に悔いなし!」と締めくくって終わる。

そんなふうに描くのだが・・・本当の老後、現実はどういう時間なのだろうか。

帰りの車で妻が言った。「どちらかが先に死ぬねんなぁ」「そうやね」とは言ったが、自分が後に残るのなんて想像しただけで気が滅入る。

正直なとこ、死ぬことより、生き残ってしまうことに対して異常に恐怖を感じる。

今日、母のところへ行って、「現実の老後」そのことを深く考えるようになった。母は、そのことを伝えようとしたのだろうか。

だから、今日を悔いなく生きよう! なんて、キレイなことを書きたくない。
もっと直視してみたい。本当の老後とはどういう時間なのか。

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