『イシューからはじめよ ~知的生産のシンプルな本質~ 』 安宅和人著
友人が鞄から本を取り出し「読んでいて円山さんの考え方に似てるなと思った」と。自分に似てるなんて言われると非常に気になる。
余談だけど、以前立て続けに「堤真一に似てますね」と言われた事があって、誰ですかそれ?と。まったく顔が思い浮かばずGoogleで画像検索をした。写真を見て…あぁこいつかぁ、褒めてくれたんだろうけど、毎日 鏡で出会っているハンサムボーイほどではないなと :-) 冗談ね。
「似てますね」は他人の目を通した”自分”を捉える参考になる。
他人の目もフィルターがかかっていれば、自分を見つめる目にもフィルターがある。自分の知る”自分”が本物ではあるけど、言ってみれば、それはたった一人の意見。
複数の他人が「あなたはこういう人だ」という”自分”こそが本物と言えなくもない。いくら本当の自分はこんな人だと思ってみても、外に出さなければ本当でないも同じ。
・・・「メタ認知」の長い話になりそうなので、本の話に戻ろう。
読んでみて確かにこんな考え方でビジネスをしてるなと思った。著者にとっては「イシュー」という言葉がしっくりくるのだろうけど、私的には同じ意味で「キモとなる設問」かな。「キモとなる設問探しからはじめよ」って感じ。
ところで…(今日はよく話題が変わるなぁ)、裏表紙にこんな言葉が載っている。
根性に逃げない。労働時間なんてどうでもいい。
価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。
これを読んでどう思うだろうか。
私の最近のトピックがここにある。「なぜ勉強熱心な人は成功しないのか」
その答えはこの2行の捉え方にあると考えている。そういう意味で良い例文だ。ストレートに言えば、勉強家は上の1行を読んでしまう。「根性に逃げない。労働時間なんてどうでもいい」かぁ。そう思ってたと。勉強していない人より近道を知ったつもりになって、今回もまた真に受けちゃう。
あちこち気にせず断言したい。 赤線を引くのは2行目だ。
「価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ」
どんなやり方、方法でも。それこそ労働時間や根性を使ってでも使わなくても。まず結果を出す。何があっても結果をだす。出した人が1行目を語ればいい。
上手く行った人の本や話は、上手くいったあとの話。あるいは上手くいくライン上で気付きながら修正していった話。
前にも書いたけど、成功者が「今」やっていることをマネしてはいけない。
その人たちが成功する「前」、学ぶ前にやっていたことをマネしなければならない。それは効率や理屈にとらわれず、今持っているものだけで結果を出してきたこと。
ということで、まとめると「ロダンの考える人は110年間動いてないよ」にした。なかなか良いでしょ。