前回のブログで「グリース」とか…って書きながら、久しぶりに観たくなった。
AmazonでDVDをオーダーするとその日のうちに届いて夕食後にゆっくり鑑賞。
ついでに、この週末に読む本を数冊をオーダー。
その中の1冊、手塚治虫のエッセイ「ガラスの地球を救え」の一文に引き込まれた。
“これから宇宙ステーションが開発され人類は宇宙に住むようになる。
そしてそこで生まれ、青い地球を眼下に育った子供たち(=宇宙人)が
科学の力にのまれ自然を損なう地球人に警鐘を発することで、初めて人類は
自然と宇宙と共に生きていけるようになるのだ、ということなのです。”
もちろん文書そのままの意味するところにも惹かれるが、いずれ現実となり得る「宇宙人」という発想に、あぁそうか!と思った。
いつの日か、宇宙で生まれ地球に一度も降り立たない人間もでてくるだろう。
人間ではあるが地球人と言えるのだろうか。さらにその子孫はどうだろうか。
1000世代先はどんな宇宙適合がなされ、どんな姿形特徴を有しているのだろうか。
我々人間の祖先がカンブリア紀の小魚であったこと、さらに遡れば、星屑と雷の合成品であったこと = つまり我々は宇宙からやって来たことを思えば、我々の子孫が宇宙へ帰ることなど、あまりにも当たり前の話だと思う。
その第一歩となるのが、「宇宙生まれの子供」なんだろうな。
数年前、角川春樹氏の講演を観に行った時、彼の言葉にしびれた事を思い出す。
「俺の故郷は宇宙のカオスだ。たまたま地球に遊びに来ただけなんだ」
彼だけじゃない、私も含めすべての人が、我が家の愛犬ロンだって、宇宙のカオスから生まれ、たまたま地球に遊びに来ているだけなのだ。
いつかまた宇宙に帰るのだと思うと・・・本当にロマンチックなことだ。
谷川俊太郎も詩で同じことを伝えている。感動的な詩。その一部を抜粋する。
からだ
闇に浮かぶ未知の惑星
とおく けだものにつらなるもの
さらにとおく 海と稲妻に
星くずにつらなるものくりかえす死のはての今日に
よみがえりやまむもの
からだ