2008年12月16日、深く考えた結果、私はPXPの社長を辞し
新社長にバトンタッチして、PXPの未来を託した。
春ごろから準備をすすめていたが、資本提携先が上場企業であるため
社員のみんなにとっては突然の発表となった。
その10日後の12月26日 毎年恒例のカニカニ忘年会宿泊旅行。
そこで、まったく想像していなかったサプライズプレゼントをもらった。
直前までわいわいガヤガヤと盛り上がっていた宴会場の灯りが消え
プロジェクターに映し出された社員一人一人からの熱いメッセージ。
過去に退職していった懐かしい社員からのメッセージもたくさんたくさん
入っていた。
起業から8年の間にみんなと共有した素敵な想い出の写真も
次々にフラッシュバックされて映し出された。
涙がこぼれそうなのを一度は我慢してみたが、まったく無駄な抵抗で、
カッコ悪いくらいに皆の前でボロボロと泣き崩れてしまった。
呼吸が落ち着かず、みんなの前で話す一言めが声にならないまま
両手で顔を覆い立っていたけど、耳からは皆のすすり泣く声が聞こえてきて
しっかりしなきゃと思った。
思い切って顔をあげてみると、あいつもこいつも、泣いてやがる。
心の中で思った。
これは会社じゃない。
普通、会社って、こんなことが起きるはずがないやん。
仕事を通じての関係じゃない。社長と社員の関係じゃない。
お互いの人生を共有する、相思相愛の人の集まりなんだ。
今までに経験したことのない感情。
とても暖かくて
とても寂しくて
とても嬉しくて
とてもせつない。
それらが、ごちゃ混ぜになって心に飽和している。
今日は、生きてきた43年間で一番幸せな日なのだろうか。
この日以上に幸せな日を思い出せない。
今日は、一番寂しくて悲しい日なのだろうか。
この日以上に寂しくて悲しい日を思い出せない。
でも
人生って、なんて美しい物語りなんだろう。
Life is beautiful.
人生は美しくて素敵なものだ。
なんて素晴らしい人生を授けて下さったのだろう。
涙が止まらないほどの寂しさ、耐えがたいほどの悲しさは
みんなと過ごした美しい日々の思い出を心の記憶に一生涯焼き付けるため
必要なことなのかもしれない。
いや。
俺は、そんな強い人間じゃない。
本当は、
この日みんなと想いを告白しあって、
お互い知っていたことだけど、最後だから
お互いを想い合っていることを言葉で告白しあって
絆を表面化しちゃった。
なぜ、これほど想い合っているのに俺たちは別れるのだろうか。
寂しい、せつない。ずっと一緒にいたい。
でも、これで良いんだ。
バカボンのパパのように力強く叫びたい。
「これでいいのだ!」
悲しくても寂しくても、 後悔はまったくない。
だって、今日、みんなと友達になれた気がしたから。
ずっと心に描いていたように、社長と社員という関係ではなく、
強い絆で結ばれた生涯の友になれたから。
この決断をしたのは、すべての人にとって良いこととなるからなのだ。
私のすべての知識、経験、信念を使って、Goを出した決断だ。
どれだけ相思相愛であっても、自ら別れを決断することは世の中にもある。
親と子の関係もそう。
同居している間は、幸せな家庭が1つだけど
いずれ親と子は別居し、色々あって幸せな家庭が2つになる。
それは新しい物語の始まりであり、さらに子供が生まれ新しい物語が始まる。
これでいいのだ。
ずっと一緒にいたいからと言って、親が、十分に成人となった子供を引き止め
ひとつ屋根の下で一生を共にすること・・・俺は賛成しない。
愛しているのなら、手放して、未知の人生を経験させてあげよう。
その子には、その子の美しい物語が待ち受けているはず。
愛しているからこそ、父は一日だけ号泣して、きっぱりと娘を送り出す。
これでいいのだ。
これでいいのだ。
自分の特技は「人の人生を良い方向に持っていくこと」だと信じている。
そのための才能を少し多めにもらっているような気がするから。
そういう役割を与えられ、この世この時代に生まれてきたはず。
でも、自分を押し殺して世のため人のため、なんてことは考えない。
時には、自分自身がカッコ良く生きて、目標になる方法もある。
あの人のようになりたいと憧れられる存在に自分を高める方法もある。
時には、崖っぷちに追いやって心を決めさせる方法もある。
短所を思い知らせて凹ませることも、長所を無制限に伸ばすこともある。
とっとと先に進んだり、後ろから見守ったり
手を引っ張ったり、突き放したり
結果的にその人が良い方向へ進めば、プロセスに多少の誤解があっても良し。
俺は「みんなに好かれる良い人」になりたいんじゃない。
「人の人生を良い方向に持っていくこと」を自分の使命とし、
より多くの人の人生に良い影響を与えることができたなら
俺にとって生きてきた意味が見いだせるから。
生きた証が残せるから。
明確に言えば、自分のためにそれをやっているのだ。
自分の人生を納得のいく、生きがいのある人生にしたいのだ。
妻や息子はもちろん、母や親戚、そして社員やその家族、その両親にまでも、直接的間接的に自分の使命を実行していきたい。
だって、世界を動かすほどの才能を私は授かったわけではないから、見知らぬ国の人々の人生を良くしてあげて数億人に貢献することは難しいかもしれない。
だからこそ、自分と何か縁のある人すべての人に少なからずプラスを振りまくことはできると信じている。
1,000人くらいの人生を良い方向に持っていく火種にはなれるかもしれない。
今まで、色々なコトやモノを手に入れ達成感や満足感を得てきたけど、
達成感や満足感というものは、ひと時のエクスタシーを得たあと時間と共に
急速に色褪せてしまい、より強い刺激を求め続ける終りのない繰り返し。
それはそれで、より前進やより高い成長の原動力として必要なこと。
しかし、12月26日この日得たのは、達成感や満足感ではなく「納得感」。
納得のいく人生とは、たとえ今日で人生が終わろうとも後悔のないことだ。
43年の人生で出来ることとしては、自分なりの納得を得ることができる。
納得感は、達成感や満足感のような強烈なエクスタシーではないものの
喜びの持続性は長く深い。
一番の違いは、時間の経過とともにより強くより深まっていくものであること。
この世を去る日がいつこようとも、悔いのない生き方、納得のいく生き方、
それができていれば、最後の一瞬にこのセリフが言えると思う。
「生きがいのある人生だったなぁ、あぁオモシロかったぁ!」
最後の日に心からそう言えるよう、納得感に包まれた人生を歩みたい。
本当に素晴らしい仲間と出会えて嬉しいです。
夢に描いていたとおり、全国に心通じ合う絆を持った友人ができました。
みんな、本当にありがとう。
今日は、私がしてきたことの何十倍も御返しをプレゼントされた気分です。
これほど感動したことはありません。
じいさん、ばあさんになっても、想い出を語り合う友達でいよな!
Life Is Beautiful!
人生、一回ポッキリ!
プラスを振りまき Happy Together!
Hiroyuki Maruyama.