話題の亀田興毅 王座決定戦。

リアルタイムの放送は見れそうになかったので、ばっちりビデオ予約。帰宅早々、さぁ見ようかなと思ったら、妻が「判定で勝ったみたいやね」と・・・。

キミ・・・。何ゆうてんのン!という事で、結果を知りながらの12Rを夜中に観ました。

判定結果については確かに、えっ?っと思いましたが、それは置いといて、嗚咽して泣きじゃくり、父と抱き合う姿には、思わずもらい泣きしてしまいました。判定を待つシーンから番組がプチっと終了するまでを5回は繰り返して観ました。

夢を実現した瞬間、わんわん泣いて父と抱き合えるなんて、羨ましいしいな。

はたして自分は、夢が実現したときに、誰かと大泣きしながら抱き合って喜べるだろうか?
いや、少なくとも泣けるだろうか?少なくとも雄叫びをあげるだろうか?

もし、自分の夢を達成しても、それほどの大喜びもなく、静かにニンマリするようだったら・・・、それって、本当に夢だろうか?

もちろん、亀田親子があれだけ感情をさらけ出して大泣きするのにはワケがある。 亀田親子だけじゃない、オリンッピックをはじめスポーツの世界ではよくある。

達成そのものが嬉しいんじゃなくて、その日まで一生懸命頑張ってきた努力が報われたことに最大の喜びがあるんだと思う。

プロセスが困難で苦しくて長いほど、達成した時の開放感が増す。
枝雀のいう「笑いは緊張と緩和」。あるいは、前回の四半期会議で話をした「Press = Release」

夢が実現したときに、嗚咽して抱き合って雄叫び上げて泣くかどうかは、プロセスの密度?濃度?によるのかも。

大きな夢の実現までには、何度も困難や壁や失敗が付きまとうだろうけど、それらは、より一層、達成感を味あわせてくれるスパイスみたいなものかも。

・・・キレイにまとまった! しゃーっコラ!