昨日、新幹線で東京から新大阪へ帰る車中、ずっと昔のことを思い出していました。

昔々、会社に勤めていた頃、大阪に妻子を残して東京に単身赴任していました。目的は、支店事務所を開設し、商売が成り立つよう創り上げること。

27歳という色々なエネルギー満ち溢れる年代なのに、不思議と「遊ぼう」という発想もなく、なぜか100%仕事に没頭していました。(いやホンマ)

仕事が終わったら、家族のいない薄汚くボロいハイツに帰って寝るだけの日々。1階なのに、窓のカーテンが10cmほど寸足らずで、外から室内が丸見え。でも、そんな事はどうでも良い気分。そのままにしておいた。

入居初日に見かけたゴキちゃんは、しばらく見かけない。けど確実に居る。ダンボール箱の上に載せた室内アンテナのボロテレビは、重みで傾いていた。潔癖症ではないけど、絶対に入りたくない洗濯機みたいな小さなバスタブ。

二重生活でお金がかかるので夜遅くても自炊してました。これはちょっと楽しい。コストパフォーマンスが良い食材「タマゴ」「なすび」「鳥皮」を日々ローテーション。楽しみは、日曜日に原宿ホコ天でアマバンを観ること。アマのシャ乱Qもいた。

あと、洗濯物をコインランドリーに掘り込んで、その間に銭湯を楽しむこと。その他は思い出せない。

まぁ、二度とゴメンな生活。

でも、そもそも「東京に支店を創りましょう。私がやりますから」と社長に提案したのは私自身でした。

なんとなく予測のつく日常から飛び出て、自分の本当の実力を試してみたかった。マジメな話、産まれたばかりの息子を置いて自ら単身赴任を選んだのだから、ムダにできるはずがない。「自分は犠牲をはらって自己成長しに来たのだ」というMy Missionがあった。

もう14年前になるけど、あの時の東京支店立ち上げを経験していなければ、多分、いまだに、もっともっと無難な人生を歩んでいるかもしれない。

新幹線の車中、あの頃の自分に対して「にいさん、若いのになかなかやるなぁ」と褒め直していました。あの頃は月に一度、金曜の最終自由席に飛び乗り、3時間立って帰る事もあった。

今日は、ガラガラのグリーン車で読書をしたり、昔を懐かしむこともできる。感謝。渡部昇一の言う「幸せな人生とは、小さな恍惚感をたくさん感じること」を思う。

人生、一回ポッキリ!

本当に一回しかないんだったら、なぜ、無難な人生を選択をする必要があるのか。
笑って泣いて、緊張して充実して、想い出いっぱいの盛大な人生を目指したい。