昨夜、4年ぶりに芦屋マリーナクラブ のX'masパーティが開催された。

2020年のコロナ以来、毎年、X' mas 企画と準備を行いながらも、直前で中止せざるを得ない状況が続いていたが、ようやく4年ぶりのX'masパーティを開催することができた。

場所は例年通り「ホテル阪急インターナショナル」。

10数年前までは、マリーナに隣接する小規模なレストランで開催されていたが、年々規模が大きくなり、ここ数年は、大阪梅田の立地で利便性もよく、キャパも大きいこのホテルで開催されている。

今年は、大ヒット曲「悲しい色やね」の上田正樹氏をお呼びしてのライブ付き

ここ数年、イベントを開催できなかったのでクラブ予算も多少あり、ゲストをお呼びしてX'masディナーライブを行ってもらうことになったが、さながらブルーノートの雰囲気で、本当に素晴らしいクリスマスパーティとなった。

歌に感動して涙がこぼれそうになった

正直、上田正樹といえば80年代に大ヒットした「悲しい色やね」くらいのイメージだったが、キーボードとコーラスをバックにセミアコギターを抱えて歌うその歌声や歌詞に感動して、何度か目頭が熱くなってしまった。

それでも、おそらくCDを聴いてもここまで感動しなかったのでは無いかと思う。

なぜなら、曲間のちょっとした語りや、目の前にして伝わる人柄や想いがダイレクトに伝わって全体が物語のように感じ、その場にいる人だけが感じる「良き時間の共有」までもが音楽に乗って空気を作り上げたからだと思う。

今後、さらに期待高まるクラブイベント

今年は夏祭りも盛大に行い、またX'masパーティも過去一素晴らしいものだったので、今後も期待感はどんどん高まって行くのかもしれない。

マリーナクラブの理事会メンバーとして、正直、予算・会計からクラブイベント、部会イベント企画等々、会議や段取りで大変なことも多いが、その分、理事メンバーと遊びに行ったり、今回のように参加者に喜んでいただけると、結局、プラスの部分が大きいとも感じている。

まぁー面倒くせー! でも俺、楽しいっす! そんな感じだ。

 

日本美の宝庫 島根県

アメリカの庭園専門誌で、20年連続 日本部門1位を獲得している「足立美術館 日本庭園」。
秋の良い時期(それと松葉ガニ漁の解禁最初の週だし)を狙って、今週末 島根県観光をしてきた。

最大の目的は "日本一の庭園" を観ることだったが、館内の美術品も、また島根県自体も各所見どころが多すぎて、着いた早々に妻が「来年も来たいね」と言うほどだった。

由志園の庭園も見逃せない。喫茶室をスマホでサクッと撮っただけでこの絵画のような絵になる美しさ。

足立美術館内のもう一つの魅力「北大路魯山人館」

魯山人と言えば美食家というイメージが強いが、大量の作品を観て魯山人の魅力が少しわかった気がする。

何といっても、作品の大多数が料亭で使うために(皿が5枚ずつ制作されていたり)創作された器類なので、とても身近に感じるし、また多少の善し悪し(というか好き嫌いか)は素人でも理解できるのが気に入った。

自分用の土産として魯山人の作品を一つ買・・・えないので、ギャラリーショップで魯山人風の器を買った。

日本の美意識 と 海外の美意識の違い

以前から思っている事だが、日本と海外(ざっくり大くくりで)の美意識は非常に相対的だなと。

庭園様式の違い

ベルサイユ宮殿の様式は「左右対称、整然、幾何学模様、花壇、噴水」など。 言わば「観る庭園」
対して日本庭園の様式は「左右非対称、岩、砂、こけ、池、滝」など。 言わば「感じる庭園」か。

皇室(王室)訪問の違い

サウジのムハンマド皇太子が皇室訪問した写真が海外で話題になった。美意識の違いがよく表れている。

なぜ日本と海外の美意識に違いがあるのか?それはコンテクストの違い

日本はハイコンテクスト文化だと言われる。

コンテクストとは「背景、状況、場面、文脈」などを意味し、簡単に言えば「言葉で説明しなくても分かり合える文化認識」。つまり、ハイコンテクスト文化の日本人は、良くも悪くも、説明しなくても分かりあえるようになっている。

よく、日本人はハッキリものを言わない、欧米人はハッキリものを言う。とあるが、日本人は言葉にしなくても理解し合えるからであり、欧米人は言葉にしないと理解し合えない文化だからだ。

「コンテクスト文化の違い」という目で見れば、"美意識の違い" の本質が理解できる

日本庭園と欧米庭園の違い、皇室のしつらえの違い、日本画と西洋絵画の違い・・・等々、すべては欧米式の「説明するために足し算する美」なのか「説明不要で極限まで引き算する美」なのか、そんな違いではないかと思う。

松尾芭蕉の俳句でみるコンテクスト文化の違い

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」は、こうやって英訳されている。

An old quiet pond, A frog jumps into the pond,  Splash! Silence again.

説明しちゃってるなぁ。

 

平和で、親切で、清潔で、自然があり、経済があり、美しい国。

あぁ日本。ありがとう!

例のごとく、画像生成AI Midjourneyで創作した画像なり。

オーディオ機器についているボリュームの役割は何か

クルクルとダイヤルを右に回してボリュームを上げると、だんだん音量が大きくなる、アレ。

あのダイヤルは、いかにもパワーを増大して "音量を上げる" 装置のように見えるけど、実際は、抵抗を増やして"音量を下げる" ための装置であり、ボリューム0にした時こそが、最大限にボリュームが効いている状態だといえる。

アンプの増幅で音量MAXにし、ボリュームで抵抗をかけて音を小さくしている

アンプは音の出る機器(音楽プレーヤーやテレビ、スマホも)に内蔵されており、10W(ワット)とか20Wみたいに、ワット数が大きいほど増幅量が大きくなり、デカい音量を出すための装置。

しかし、そのままだと、スピーカーやイヤホンをつないだとたんに100%の最大音量で鳴ってしまう。

そこで必要になるのが、音量を適度に下げるための装置=ボリュームなのだ。

ボリュームは音を小さくする装置。 こういう「実は真逆だった」という発見はとても面白い。

このようなアンプ(増幅)とボリューム(抵抗)的な仕組みは他にもある

例えば、水道の蛇口だ。

水圧(アンプ)によって何もしなければ最大限に水が出るが、それを可変的に小さくするのが蛇口(ボリューム)だ。

水を出すために蛇口があるのではなく、水を止めるために蛇口がある。

照明もそうだろう。

スイッチは電気を点けるためでなく切るためにある。そこに調光器をつければ、ボリュームと同じ仕組みで抵抗体の距離を調整して徐々に暗くしていける。

この発想で見ると、人の潜在的能力 = ポテンシャルも同じ仕組みに見えてくる

今、自分が本来持っているであろう最大能力の20%しか使えていないとして、より多くのポテンシャルを発揮して、100%とまでは言わずとも50%くらい使えたら、俺の人生 凄いことになる!と考えたとする。

より ポテンシャルを発揮するために、通常はどうするだろうか?

もっと頑張る! もっとやる気を出す! もっとやり切る! そんな感じか。

もしかしたらそれは、「ボリュームとは音量を上げる装置」だと思い込んでいる状態なのかもしれない。

実際には真逆で、本来「ボリュームとは音量を下げる装置」。であるなら、もっと音量を上げるのではなく、もっと抵抗を減らす、という発想が必要になるのでは?

本当は、常にポテンシャルは最大限の出力をしているが、ボリュームで絞ってる?

自分が本来持っている能力の最大限100%が胸元まで出ている。しかし、頭の中にあるボリューム(抵抗装置)がかかって、音量が20%まで小さくなっている。

実はそんな感じなのかもしれない。

では、ポテンシャルに抵抗をかけてしまっているモノはなにか?

恐怖、羞恥心、無知、思い込み、怠け、妥協・・・などなどだろう。

増幅型の「もっと頑張る」でなく、抵抗しているものを外すために「もっと恥をかく!」「もっとビビらない!」「もっと思い込みを捨てる!」というのが必要だったのかもしれない。

ポテンシャルをもっともっと発揮する、と言うより、ポテンシャルの抵抗装置を一つづつ外す。言い換えれば「邪魔している自らの思い込みを一つづつ外していく」のが本当のポテンシャル発揮法なのかもしれない。

ボリューム(抵抗装置)が壊れている人々

考えてみれば、イーロンマスクもZOZO前澤氏なんかも、ボリューム壊れちゃってる感満載ではないか。

基本的に私たちと同じような人間であり、同じ24時間を与えられ、同じように食べ、動き、寝ている。

それなのに、彼らのポテンシャル全開力は半端ない。それは、彼らのボリューム(抵抗装置)が壊れているからではないだろうか。リミッター(安全装置)もどこかでもげ落ちたと思われる。

ある意味、平気で年寄りをだませる詐欺師も同じようにボリュームが壊れている

それは心が痛む、道徳的にもできない、という人間的抵抗装置が完全に壊れているのだ。

世界的に活躍する人も、詐欺師も、紙一重ながら同じ構造で振り切っている。抵抗がないのだ。

完全に壊さないまでも、わずか少し抵抗を弱めるだけで、私たちの人生は大きく変わるのかもしれない。

面白いことに、ボリュームダイヤルとポテンシャルは語源が同じだった

ボリュームダイヤルのことを技術的には「可変抵抗器」と呼ぶが、英語では「Potentiometer(ポテンショメーター)」という。

ボリュームダイヤルの語源は、ポテンシャル(潜在能力)のメーター(計器)。

この、真理が実にオモロイでっしゃろ? ほな、また!

朝、バルコニーに出たら、真正面に大きく輝く太陽と、煌めく海があった。

2008年に帆を上げて以来、今年でまる15年になった。

セーリングチームのクルーとして30歳から5年間毎週乗っていたが、起業を機に辞めて、ひと段落着いた43歳で自分の船を持ってから、すでに15年間も乗っていると考えると、よくも飽きずに毎週乗り続けているなと。

その15年間に付き合ってくれたメンバーらと15周年記念として淡路島へちょい贅沢な温泉旅行に来た。

この15年間、セーリングを通じてたくさんの思い出を作ったし、元々の想いである たくさんの人々を乗せて自分の愛するセーリングの世界を体験してもらえたと思う。

いつまで乗り続けるのかわからないけど、メンバーも自分も体力があり健康であるうちは、永遠に続けたい。

常時メンバーのお二人、SEVENTEEN 号、そしてヨットを教えてくれたK師匠に大感謝!

PCに残っている昔のファイルを整理していたら、20年前(2003年)に非公開で書き残していた楽天日記(当時名称)のバックアップテキストが出てきた。

現在のブログの初回投稿は2004年の4月だが、その1年前に始めていた非公開ブログ。自分にとってとても懐かしい日記なので、あらためて掲載してみたい。
※トップ画像はMidjourneyにプロンプトリクエストして生成


2003/03/25 「信頼」とは自分の心配を優先しないこと。

愛しているのなら、大切に思うのなら、彼を信頼しろ。

昨日のこと。

来月、中学一年生になる息子の学生服が家に届き、家族3人で試着会をした。
私立中学のボンボンっぽくステッチの入ったブレザー、と言うかスーツだなあれは。それにネクタイと革靴。

その姿を見ながら「もう息子は立派な一人の人間として育ったんだな」としみじみ。
嬉しさと寂しさを感じた。

そして、その晩リアルな夢を見た。

なぜか夜の電気屋街。日本橋でんでんタウンの喫茶店に息子と二人で居るとこから始まる。

しばらくして、話の流れはわからないけど、息子が一人で自宅まで帰ると言う話になった。しかし、息子は一人で電車にも乗ったことがない甘えん坊・・というか、私たち両親が過保護の心配性なのだ。

一人、喫茶店を出て行く息子が急に心配になって、私は店を飛び出そうとする。

「携帯電話を渡しておかないと・・、お金はたっぷり持たさないと・・」今、息子を見失ってしまうのが心配で仕方ない。夢の中で本当にドキドキしていた。

その時、頭の片隅から声が聞こえた

「愛してるなら信頼しろ。大切なら成長の邪魔するな!」という声がハッキリ聞こえた。

それを聞いて私は喫茶店を飛びだす寸前で思いとどまる。

きっと何もなかった顔をして家に帰ってくるんだろう、と言い聞かせながら。そして自分も親として成長するきっかけになったような気がした。

そこで目が覚める。夜中3時だ。

すぐ隣で寝息をたてる息子が愛しくて、とっさに抱きついた。

あと少しで大人になってしまう、あどけない子供でなくなってしまう。この時間を大切にしたい!ずっと子供だったらいいのに・・。複雑な気持ちだった。


 

先日、いつものマリーナ友だち4人組で祇園のお座敷遊びを満喫してきた。

久しぶりに、定番の「とらとら」や「金毘羅船々」の他、初体験の「べろべろの神様」や、私のリクエストで以前から一度やってみたかった「投扇興」も体験できて、とても楽しかった。

一通り、お茶屋さんで美味しい食事とお座敷遊びを楽しんだあとは、芸妓さんらと一緒にワインバーへ行って飲んだり歌ったりで、6時から夜中の1時まですべてを忘れてホントよく遊んだ。

日本って、平和で優しくて、美しくて情緒があって、ほんと良い国だなぁ。 感謝感謝。

世は満足じゃ の図

毎年恒例のマリーナクラブ主催のエクシブ淡路島ファミリークルーズ

今年は、ええかげんコロナ自粛も飽きたし、親戚のおサルさんたちに声掛けしたところ、16人が「行くでごザル!ごっつぁんウキーっ!」と雄たけびを上げたので、うちのグループは大所帯での参加となった。

まずは屋上テラスでのカクテルパーティから

いつも歌で盛り上げてくれるJeffreyと、来日中だったDante Thomas氏の飛び入り参加。空に溶け込むようなソプラノサックスの音色がとても心地よかった。

パーティ会場に移動したら、飲んで、食べて、歌って、踊る

美味しい料理を食べ終わったら、おじさんから子供まで一緒に踊って盛り上がる。楽しい時間。

からのサンバ。で、また踊る

幸せは、物理的な「物」になく、心豊かな「時」にある

ある程度年齢を重ねた人なら誰もが感じていることだろうけど、やはり「物」から得られる幸せは、一時的な高揚感に過ぎない。

得た時が高揚感のピークで、そこから急速に冷めていくのが「物」であり、結局、また次の「より高揚させる物」への渇望が始まるだけだ。

それでも「物」の向こう側にある「時」を感じているのなら、それは高揚感ではなく充実感や心の充足感のようなものになる。例えば、自分が欲しかった高級◯◯は「物」だが、家族と住む家は「物」ではなく、心豊かな「時」かもしれない。

毎月1度でも、子供をおいて夫婦二人で行く5,000円ランチの方が、子供も連れて出かけるスシローの方が、100万円の時計で刻む時間より豊かな時間なのかもしれない。

まさしく私にとってのヨットは「物」ではない、心豊かな「時」だ。

ずいぶん以前に、中学校時代の友人たちが船に乗りに来たことがある。その時、ある一人が「ありがとう。◯ちゃんが見せびらかすためのフェラーリでなく、皆でこんな時間を共有できるヨットを買ってくれて」と言ってくれた。

何も言わずとも、自分の想いをよくわかってくれいて本当に嬉しかった。

「物」である1隻のヨットから生まれ続ける幸せ

心豊かな「時」として買った1隻のヨットから、たくさんの想い出が生まれ、たくさんの友達ができ、そして、まさしく今日、たくさんの親戚で幸せな時を共有できている。

物理的な「物」から得られる高揚感はどんどん冷め、劣化もしていくが、豊かな「時」から得られる充足感は、日増しに幸せを積み上げ輝きを増してゆくものだなと。

『金持ち父さん、貧乏父さん』の最重要提言。「資産と負債の違い」

ロバート・キヨサキの著作2冊目『キャッシュフロー・クワドラント』での最重要提言は「E/S/B/I」だが、1冊目の『金持ち父さん、貧乏父さん』で最も重要な提言は「資産と負債の違い」についてだろう。

金融としての定義では、「資産とは、あなたのポケットにお金を入れてくれるもの」であり、「負債とは、あなたのポケットからお金を奪っていくもの」ということ。

家は資産か?負債か?、車は資産か?負債か?は、それがお金を増やしてくれるものか奪っていくものかで呼び方が変わる。だから、資産を増やし負債を減らす思考が大切だと。

では、「金融」としての定義でなく「幸福感」という定義ならどうだろう

それが自分にとって資産なのか負債なのかが見えてくる。

時には「これは負債だけどね!」と言いつつ物欲に走るのもいい。で、少しずつ、心豊かな時を生み出す「資産」を増やしていくのがいいのかも かも かもーん。

「one kiss」calvin harris & dua lipa

この曲が好きで、以前から何度も繰り返し聴いているが、動画を初めて観た。

なんか、めちゃくちゃカッコいい!

ビジネス系 Youtubeでよく観てるのが『宋 世羅の羅針盤ちゃんねる』

ビジネス・営業マン系のチャンネルながら33万人も登録があるので知っている人も多いかと思うが、個人的には『日経テレ東大学』がチャンネル廃止となった今、ビジネス系としては一番よく観ているチャンネルかもしれない。

小手先論ではなくズバッと本質を突いた話で、物事に対する視点も、話術も素晴らしい。

宋 世羅(そん せら):34歳 元野村證券の営業で、現在フルコミッションの保険営業マン

今朝、Kindle版『一生使える 勝ちメンタルのつくり方』を読んでみた

ビジネスマンのブレない生存戦略 一生使える「勝ちメンタル」のつくり方 :宋 世羅(著)

Youtubeでの動画本数もかなり多いのでそれだけで十分だが、彼の書いた本も読んでみたくなり、今朝、いっきに読んだのだが、やはり本質を突く話ばかりで非常に面白かった。

ふと思った。良い本は、読書の途中で手を止めて、考えてみたくなるものだなと

こういう経験は何度かあるが、この本も、序章を読み始めて早々に手が止まり、本を閉じて、自分に当てはめながら思いを巡らせた。

いくつか、なるほどなと思ったテーマをメモった

  • 5角形の合わせ技で勝つ。自分の小さな強みを知る。
  • 抽象的なふわっとした誉め言葉を一生の自信として使い倒す
  • いま俺、あかんターン。それを遠目で見て自分を切り離す
  • 頑張ることはダサいのか?頑張ってない人に人間的魅力はない
  • 期待値コントロール「アホなふり」と「賢いふり」の絶妙なバランス
  • 勝ち癖、負け癖より、ビビり癖が人生を小さくしている
  • 家族や仲間には、私と同じ船に乗ってよかったと思って欲しい。

「羅針盤ちゃんねる」で面白いのはたくさんあるが、特に作り込み版は面白い

今月からNetflixで配信されている、アーノルド・シュワルツェネッガーのドキュメンタリー、Netflix「シュワルツェネッガー 3つの人生」(3部作)を観た。

シュワちゃんが歩んできた人生なら(ボディビルダー、ハリウッドスター、カリフォルニア州知事)、あらためて観るまでもないかと思ったが、軽い気持ちで観始めたのに、気づけばノンストップでいっきに3部作を観終わっていた。

この数年、自分の中で静かに納めかけていた熱い何かを思い起こさせてくれる時間だった。

「警告」になるもの、「憧れ」になるもの

Youtubeでは、"あのようになってはいけない" という 「警告」 になるものと、"あのようになりたい" という「憧れ」になるものがある。

ホリエモンやひろゆき、中田とかも見ることはあるが、結局は上から目線でキレよく話すのが達者な人々であり暇つぶしで見るもの。根底はエゴとネガティブだから真に受ける事はしない。

それに対して、大谷や吉田、井上尚弥や八村塁、三苫薫をYoutubeで見ていると、言葉で自慢することも他人を見下すこともなく、ただただ日々活躍する姿を見せてくれる。謙虚であり礼儀があり、それでいて自分に厳しく裏では人一倍の努力を行なっている。

彼らの活躍は、心の中の火種を絶やさぬよう薪をくべてくれているように感じる。

無意識だが、最近、「努力」という古臭い言葉をよく使うようになった

彼らの大活躍や大成功の裏には、例外なく、明確な夢があり、実現できると信じ、実現する根拠に相応しい徹底的な努力を何年も継続して行なってきている。

結局、1周どころか10周まわっても、人生において最も大切なこと、最も美しい思い出になるのは「努力」である。という事に考えが行き着いてしまう。普遍は不変だ。

幸せになるために「努力が必要」というより、「努力した日々」が幸せな思い出となる

人生を振り返って懐かしむとき、「嬉しかったことや成功したこと」よりも、「苦労したこと、人一倍努力した時期のこと」が何よりも懐かしく美しい思い出であり、笑って話せる思い出となっている。

自分の人生を振り返っても、段ボール箱の上で50円の鳥皮や3本100円のなすびを食べながら、朝から夜中まで働いていた20代の頃が一番懐かしいし、今の会社の創業期に一人でテレアポして訪問営業して苦しみもがいていた時期が、今となっては一番充実していたように思える。

人生は思い出作り

「やめたい誘惑は成功する直前に最も強くなる」という中国のことわざがあるが、神が作った人生ゲームの秀逸なところは、努力のゴールを見せないところだ。

ここまで努力すれば成功を与えるというルールにはなっていない。

人は、努力を必要最小限にしたいと思う。ほとんどの人が振り落とされるのはこの点だ。

もう一つ素晴らしいところは、「努力している時」は徹底的に辛くて苦しい。
なのに振り返れば「努力した日々」が一番楽しい思い出になるというところ。

いつまでも色あせない、懐かしくて心温まる思い出はすべて「努力した日々」のこと。

「シュワルツェネッガー 3つの人生」を観ながら、ずっとそんなことを考えていた。

4年前だが、シリコンバレーにあるAppleとGoogleへ訪問した事がある

どちらも1、2を争う巨大IT企業ではあるが、あらゆる面でそれぞれの企業文化が正反対だなと感じた。結局、それが何であれ正しいと思うビジョンに尖ってるのが大事、ということか。

Appleはスマートでシンプルかつハイセンス。それに対してGoogle本社は学生の集うキャンパスそのもので、少し大きな建物を中心として近隣の緑豊かな住宅街を買上げ、平屋建てのオフィスがそこら中に点在している感じだった。

どちらが良い悪いではなく企業文化の違い。それが製品や企業戦略に明確に現れているなと。

本社の お土産ショップを見比べてもその文化の違いがわかると思う

両社はこのショップ(左:Google 右:Apple)のイメージそのものだった。
ただ、Googledでは社食(※テーブルオーダー式の街のレストランそのもので社員の家族や知人まで全部無料)にも案内してくれて美味しい料理をゴチしてくれる、ええ会社じゃった。

が、アメリカで一番衝撃的だったのは、SF映画のようなストライキだった

サンフランシスコにあるマリオットホテルの前で、プラカードを持った100人ほどのストライキ行進が行われていた。ホテル従業員のストライキのようだが、何のデモなのか聞いて驚いた。

ロボットに人間の仕事を奪われてしまう!ロボット導入反対!のスト

偶然、この時にアメリカ各地のマリオットホテル系で8,000人規模のストライキがあったらしく、ホテル事業社が人件費削減を目指して徐々に進めていたロボット運搬ルームサービスやスマホチェックイン、顔認証テック、スマートスピーカーコンシェルジュなどで人間の仕事が奪われるのに反対する大規模なストライキだったようだ。

まさに、ロボットに征服されるのを恐れる人類の抵抗? SF映画のワンシーンのようだ。

そして今年、AI導入に反対する1万2千に規模のストがハリウッドで行われた

ChatGPTに代表される自然言語生成AIを活用して作成されたAI脚本の導入に反対する全米脚本家協会によるストライキだ。

実際、試しにChatGPTでシナリオを書かせてみたがその出来に驚いた。本当に2時間ドラマ程度の脚本なら、自分でも1~2日ほどで面白いものが書けるなと感じた。

おそらく、いや確実に、ストに参加している脚本家の中でも、ある程度の部分でChatGPTを活用している人は必ずいるはずだ。その実力を知るからこそストをしているとも言える。

冷酷なようだが、ロボやAIの方が優れているのなら人間がやる必要ない

個人的には、自分でなくてもできることは他の人に、またはロボットやAIにやってもらいたいと思う。自分の大切な時間や能力は、自分のほうが上手いことに使いたい。

「自分のほうが上手いこと」というのは、特定の職業や、特別な仕事の能力 だけでなく、社会貢献であったり、何より、我が家の家族を幸せにできるのは、ロボットやAIや他の誰よりも自分の方が上手いはずだ。そこに時間や能力を使えば良いと思う。

だからと言って、家にいて、ニコニコと家族をみつめていても幸せにはできない。だから、しばし離れて、外で一生懸命に人一倍仕事をしたり勉強したりして稼ぐ能力を高め、時間に余裕を持てる力をつけるのだ。

有名なハードボイルド小説ではないが「強くなければ優しくなれない」

原始の時代から、男は家族や仲間を守るため、死力をつくして狩りにでかけ糧を持ち帰った。これは、何千何万年経っても、変わらない基本原則。戦わぬ軟な男は家族を守れない・・・うんぬんうんぬん・・・。

あれれ、またぜんぜん話が違う方に行ってしまった。

ではでは。

「結成16年以上の漫才賞レース」というコンセプトや、8組の出場者を見ても、期待していなかったが、この大会を作り上げようとする制作サイドの熱量もあり意外と面白かった。

これぞ、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

決勝戦 最後の2組で、ギャロップが大差で優勝し、マシンガンズが負けたのは、誰が見ても「そりゃそうだろう」という結果となった。

ギャロップは本気で優勝を狙い「準備と戦略」があった。
マシンガンズは幸運で8組に残ったのに「準備なしで負け癖」があった。

漫才番組の話を書いてもしかたないが、勝つ人と敗ける人の違いが明確に見えて、漫才賞レースに限らず、世の中のすべてに通ずるものだと感じた。

成功者のパターンは様々だが、敗北者のパターンは共通している。「努力しない」

あそこまで走ればよいというゴールが見えていて努力するのは当たり前だ。

「10km歩けば、置いてある1億円を持って行って良い」のような、ほとんどの人がやれることは努力とは言わない。

「1km先か1000万km先かわからないが、たぶん1億円が置いてるだろう」を信じて歩き続けるのが成功につながる努力だ。誰も獲らないから宝が残っている。それが世の仕組みだ。

THE SECONDは、漫才師にセカンドチャンスを与えようという企画

そのセカンドチャンスに、準備を怠り、負け癖に逃げ、謙虚になれないなら、8組にしかないセカンドチャンスを本気の人に譲るべきだ。

そして、長年、ローカル番組で腐らず実力を積みを重ね、THE SECONDに合わせてしっかり準備し、ネタ順で勝負をかけてきたギャロップは素晴らしかった。

彼らは、セカンドチャンスをつかむにふさわしいコンビだった。

おめでとう。ファンでもないが、応援したくなるコンビになった。

今年のGWもよく遊んだ

初日は妻と有馬温泉でゆっくり過ごし、ゴルフ師匠のご夫婦とゴルフをして、和歌山まで1泊クルージングに出かけ、高校時代の同級生宅で朝から晩まで麻雀を楽しんだ。

それにプラスして、以前から時間があったら観ようと思っていた大河ドラマ『春日局』(1991年)も1話から50話まですべて観た。色々と遊んだけど、イベントの合間に休息日もはさめて疲れはまったくなく、エネルギーは満タンチャージできたようだ。

クルージングの楽しみは「食」

船上ランチは、クルージングのたびに妻が作ってくれる懐かしタイプの運動会弁当

和歌山マリーナシティに到着。まずは桟橋前にある黒潮温泉でゆったりと風呂で癒す

風呂あがりの夕方、熱々アヒージョをつつきながらカリフォルニアワインでまったり

夜は花火大会を鑑賞。「未来はもっと明るいぞ!」と言われてるようでちょい感動

晩御飯はしゃぶしゃぶ。最近、白菜代わりにチンゲン菜を使っている。おすすめ!

一通り片付け終わったら、静かに音楽をかけながら就寝前のまったりワインタイム。

朝食は、釜でお米を炊いて、塩サバ、白菜づけ、グルメードステーキ、鉄板玉子焼き。


若い頃は、50過ぎのオッサンなんて面白いことなど無いと思っていた

でも、考えたら50代60代くらいが一番バランスが取れてるんじゃないかな。

一般的に、子育ても一通り終わって、住宅ローンの目途もたち、様々な社会経験から人生の立ち振る舞いも身に着けてきて、しかもまだまだ健康で少々遊べるお金もあるのがこの年代かな。

人生を楽しむための3大リソース 「健康」「時間」「お金」その全てが重なる時期

あくまでも個人的なイメージだが、世間一般としてこんな感じではないだろうか。

年代 健康 時間 お金
~25歳
25歳~45歳
45歳~65歳
65歳~

50歳を過ぎたら、ここから人生を完成させていく時期なのかと思えてきた

若い頃は、仕事に全力で取り組んでいたし、休日は子育てを含めて家族サービスもある。同世代の友達も同じようなものだから誘えないし、男同士で遊びにいくことは少なかった。

でも、50歳前後の頃から、皆、仕事や家族も一区切りがついたのか、友達と飲みに行ったり旅行に行ったりして遊ぶことがとても多くなった。

そういう意味でも、自分だけでなく皆の人生のバランスが良くなる時期だなと感じている。

とにかく、58歳の今でも、充実した日々を過ごせていることに感謝!人生って素晴らしいゎ!

一時期、少なくとも百回以上はこの1曲を聴いていた

ミルトン・ナシメントの『魔法の町』。久しぶりに思い出して聴いた。

8年ほど前、坂東玉三郎が「サワコの朝」という番組内でお気に入りの曲として紹介したのだが、一瞬で自分の持つ美意識や感性との親和性を感じた1曲となり、当時は、朝、湯船に浸かりながら毎日繰り返し聴いていた。

そのことを思い出したのは、たまたま観たこの動画だった

「Bobby Mcferrin and Richard Bona」

ファルセットというよりハイトーンか。なんて気持ち良い曲なんだろう。グラミー賞を10度も獲得しているようだが、今日、初めて聴いて、こんな素晴らしいアーティストもいたのかと知った。

「曲を聴く」というより、感性が体から湧き上がって表面に現れるのを観てるんだろうな。ほんと、世の中には素晴らしいものがまだまだたくさんあるんだな。

ChatGPTがこれだけ話題になって猫も杓子も持ち上げ始めると、必ず「いや、AIにこれは出来ない」とか「まだまだ大したことない」という欠点探しをして反論を述べる人も出てくる。

だから、あまり書きたくないが、自分なりに信用度は測っておきたい。

簡単な質問を、ChatGPT-3.5と、より高度なGPT-4(月額版)にしてみた

テレビ番組「M1グランプリ」の歴代優勝者を2015年から2020年まで教えて


ChatGPT:
「M1グランプリ」は、お笑いコンビが競い合う日本のテレビ番組です。2015年から2020年までの歴代優勝者は以下のとおりです。これらのお笑いコンビは、それぞれの年において最も優れた漫才やコントを披露し、優勝を勝ち取りました。

実際の優勝者
GPT-3.5
GPT-4
2015
トレンディエンジェル
✕ 麒麟
トレンディエンジェル
2016
銀シャリ
✕ ミルクボーイ
銀シャリ
2017
とろサーモン
✕ キンタロー。
✕ かまいたち
2018
霜降り明星
✕ ザ・ぼんち
✕ さらば青春の光
2019
ミルクボーイ
ミルクボーイ
✕ ニューヨーク
2020
マヂカルラブリー
✕ 未開催
✕ 霜降り明星

検索でもスグにわかる質問に、いかにも正しいように不正解を教えてくるAI

個人的には「ザ・ぼんち」とか「キンタロー。」なんかを入れてくるGPT-3.5のボケかたの方が好きだ・・・とかそういう事ではない。思わず鵜呑みにしてしまう回答だから逆に怖い。
英語で質問したほうが良いかと思い試してみたが、答えは同じだった。

不正解を指摘して再度たずねると、あらためて調べ直して返答してくる

「M1グランプリ」のオフィシャルサイトで見ると、歴代優勝者が違うようですが、正しく教えて下さい。

丁寧なお詫び付きで「正確な答えを記載いたします」…とか言って間違っている。

ChatGPT:
申し訳ありません。以前の回答は間違いがありました。正確な「M1グランプリ」の歴代優勝者を2015年から2020年まで再度記載いたします。今回は正確な情報を提供できず申し訳ありませんでした。

実際の優勝者
再質問の返答
2015
トレンディエンジェル
✕ スーパーマラドーナ
2016
銀シャリ
銀シャリ
2017
とろサーモン
✕ かまいたち
2018
霜降り明星
◯ 霜降り明星
2019
ミルクボーイ
✕ ニューヨーク
2020
マヂカルラブリー
✕ 可愛いじゃん

さぁどう使う? 上手く使わなければならないね。

従来型でググって調べるなら、肌感でサイトの信頼性を見分けたり、複数のサイトをチェックしてみたりするが、天才ChatGPT様がこれほど丁寧に「回答は間違いでした。正確な情報はこれです。今回は申し訳ありませんでした」とこられたら、完全に鵜呑みにしてしまいそうだ。

ちなみに米アカデミー賞は正解で、日本アカデミー賞は不正解だった

最初に書いたように、AIの欠点や無能さを探すのが目的ではないが、今のところ自分なりの尺度を持って使いこなさなければ、痛い目を見ることもあるだろう。

船底から船上までクリーンメンテナンスも完了し今日から海に出た。

春の海は、地上と違って荒々しく吹くことが多いが、今シーズンも初回からいきなり25knot(風速13m)前後の強風でご挨拶を受け、「あぁ、春だね」と思った。

それも、1時間もすれば風も波も落ち着いて、後半は、ノンビリと話をしながら、春セーリングを楽しめた。

今年はあちこちとクルージングにでかけよう。

クルージングといえば、先日、ブレッド&バターのライブを観てきた

若いころによく聞いていた、湘南ミュージック「ブレッド&バター」のライブがBillnoard Live Osakaであったので妻と観に行ってきた。
代表曲ともいえる「クルージングオン」から始まって、とても心地よい時間を過ごせた。

この曲、40年前の曲だけど、今 聴いても新鮮な音と声。聴いてみて欲しい。
歌詞もセーリングのひと時を現わしていてとても気持ちいいし。

Bread & Butter 「クルージング・オン」

風が落ちたメイン・セール 高く上げろ
青い海に白い帆が まぶしいよ
城ヶ島はるか 今はもう遠い
式根島めざす 俺たち

なぜに海が好きなのか 分からないよ
会社づとめ辞めたのも クルーにいる
船と海それが 生きがいになって
それもまたそれで いいだろう

クルージング クルージング クルージング・オン
セイリング セイリング セイリング・オン

ひとり船首に寝ころべば 眠くなるよ
あほう鳥が飛んできて マストにいる
イルカだろ船を 追いかけてくるよ
どこまでもついてくる気か

初期の坂本龍一をよく聴いていた

今日、あらためて坂本龍一の初期のアルバムを何枚か聴いて懐かしんだ。やっぱいいな。

昔はバンドでベース担当だったがキーボードも遊びで弾いていて、10年ほど前に撮ったものだけど、坂本龍一の「Parolibre」を弾いたビデオがあったのでお別れにアップしたい。

教授。演奏を聴いて道すがらずっこけないでね。サヨナラ。

ヨットとゴルファーの絵をダリとフェルメールに描いてもらった

言語モデルAIで今のところトップを走るのが "ChatGPT" とすれば、画像生成AIの現在トップは "stable diffusion" だろう。どちらもAPIとしてすでに様々なものに組み込まれている。

AI翻訳のDeepLに驚いたのもつかの間、ChatGPTやstable diffusionによって、トップレベルのAIは切磋琢磨し急発展している。

先日、テレ東WBSで、ChatGPTを開発しているOpenAIのCEO サム・アルトマンの独占インタビューを観たが「AI(人工知能)からAGI(汎用人工知能)の時代になる」とのことだった。

そりゃそうだろう

サイロ化して縦に発展している現在のAIは、当然、いずれ横串を通して汎用化されOS的なものになるだろうが、それが巨大企業による中央集権でなく、ブロックチェーンの理念に基づいたものになって欲しいとは思う。

ところで。

昔々、私が20代だった1990年前後のコンピュータ業界では、CPU性能の向上スピードがあまりにも速いの現わして「ムーアの法則」(18カ月で2倍の性能向上)と言われていた。

当時はNECのPC9801(intel i-286)を販売していたが、その後、1~2数年でi-386、i-486とCPU性能は急速に向上していた。その後、ハードウェアの時代からソフトウェアの時代に変わり、ネットベンチャーが急速に増えはじめた2000年あたりのバズワードはドッグイヤー(これまでの7倍の成長速度)だった。

このAIの急速な性能向上を、これから何と名付けられるのだろう。

個人的に最も興味をひくのが、AIが主役になり始めた時代において、逆にハードウェアが再重要要素になってきていることだと感じている。

Intelが主役のCPU(中央演算処理)からNVIDIAが主役のGPU(画像演算)となり、Sコンからさらに量子コンピュータの時代に変わろうとしていて非常に面白い。

まぁ、それは良いとして、ゴルフじゃ。

今日は、心地よい季節の中 車を走らせ、木漏れ日と桜を愛でながら今年初ゴルフに向かった。

で、9年ぶりの低スコア。

私の場合、年々、急速に下手になっていく逆ムーアの法則が効いているらしい

 

何つっても、やっぱ春は良いもんじゃ。

太陽は暖かく、空気は軽やか。気持ちも柔らかくなる。

今シーズンは、4月初旬にマリーナで船底の整備から諸々チェックをかけてもらい、4月中旬からまた毎週のセーリングをスタートする。

寒い季節は完全に忘れさっているが、春のにおいを感じると、もう海に出たい!クルージングにでかけたい!今年もいっぱい楽しもう。

ちなみに・・・どうでもいい話だけど

船の名前が会社の名前と同じなんだけど、船は完全に個人所有。豚の貯金箱割って買ったヨ。

船名が先で、その後に会社の名前も同じにしたということ。

で、なぜSEVENTEENか?

私のアイデンティティコンセプトが「子供っぽく、大人らしく」あり続けることで、自分のイメージとして17歳というのがちょうど、子供と大人の境目の年齢だったかなと。

無邪気な子供らしく冒険心や好奇心を持ち、それでいて、立派な大人として振る舞う。

昔から17をラッキーナンバーとしてきたけど、ヨットを買った時に「子供っぽく、大人らしく」というアイデンティティコンセプトを決めたんだよね。まぁそんな感じ。

表紙を見て、「これ、BGMだね」と言ってくれる人。好き。

スタイルはまったく異なるけど「TECHNODELIC」も「Papa Hemingway」も「S-F-X」も、奥村靫正氏のアートディレクションですって。知らなかったけど。

初期(1970年代)から全盛期(1980年代)、そして今の作品と分類されていて見ごたえがある。